ADHD_LABO

ADHDをよりよく生きる実験の日々

ネガティブモンスター、ハンコが生まれた背景 ~幼少期&学生編~

読者の方から、ハンコさんてどんなプロフィールなんですか?

と問い合わせがあった。
興味を持ってくださって感謝、感謝です。

 

そうですね。
ハンコという眠れる獅子、ネガティブモンスターを生んだ背景があると、

重厚感が全くない、拙い文章も少しは深みがでるかもしれません。

 

このブログは、架空ながらも研究所、

「ハンコをいち研究対象」として

俯瞰&客観的にふりかえってみましょうか。

 

 現在は夫、4匹の保護猫、一匹の保護犬と暮らしている、わたくしハンコ、

1977年、東北の、夏になるとヘドロの匂いがたちこめる海沿いの町で生まれた。

(いまではそんな故郷がとても愛しく、テレビでシンボル的な山が流れると

涙がでてくるほどだが。)

 

父、母、弟の4人家族で、昭和のごく普通の一般中流家庭の中で育つ。

いや、母ナツコを除いては。

 

父は建設会社で働いていて、現場監督をしており

単身赴任生活で、土曜の夜だけ自宅に帰ってくるという生活だった。

 

当時小学生前のハンコ、5歳下の弟、てんやわんやの一番手のかかる時期を

ワンオペで子育てをしていた母ナツコ、当時28歳頃だったろうか。

 

ナツコはいつだって、尖ったナイフのように切れ味鋭く、

何かに苛立ち、ピリピリしていた。

 

(ここからナツコのことに触れます。琴線に触れるかもしれません。

母親のことでトラウマのある方は飛ばしてください)

 

そしてナツコは異常なまでに神経質、綺麗好だった。

午前、午後と掃除機をかけ、

カーテンを閉める際の折りたたむルール、

テレビ、食器棚など指紋がつくことは断じてゆるさない

ナツコの鉄の掟「ナツコルール」が、そこかしこにあった。

 

そんなナツコである、しつけや食べ物にも厳しく

着る服に文句でも言えば、裸で玄関の外にだされたり、

時には、火のついた線香を手に押し付けたりと

クセがだいぶ強めでバリエーションにとんでいた。

(恐らく、ナツコも祖母にそのようにしつけされていたのであろう)

駄菓子を食べたいとせがんだ際は、赤く着色された

駄菓子を真っ白に洗い、私と弟に手渡された思い出は

私たち兄弟のテッパンネタである。

 

まだ若く、体力があったナツコは

今振り返るとかなりパンチの効いた

エキセントリックな女性だったと思う。

 

苛立ちのピークの際は、

子どもの自己肯定感下げる、パワーワード

「お前なんぞ~」とよく口にしていた。

ここにきてくださる読者の方はよく耳にしている言葉かも知れない。

なのでここは省略する。

 

そんな中で育ったちびっ子ハンコ、

拠り所は、本、アニメ、8時だよ!全員集合の志村けん

夢の中や妄想で上の空になったり、それらにとにかく夢中になっていた。

(今思えば、ナツコがよく全員集合を許したな・・・。

土曜に帰ってくる大らかな父の存在が大きかったと推察される)

 

加え不注意も多くおでこ、うでに縫うようなけが

取り付かれるようにわんわんと泣き出す私に対し、

昭和の50~60年代の

発達障がいやADHDなど全く知られていないその時代、

 

ナツコは、私に狐が憑いているのでは?

疳の虫 (かんのむし)が頭に沢山いるのでは?と悩み、

まったくトンチンカンな方向に走り始める。

 

女性の拝み屋?イタコ?みたいなところに連れていかれ

祈祷のようなものを定期的にされていた記憶をかすかに覚えている。

(東北の田舎では、集落にそういった信仰対象の女性がいた。)

 

ハンコ一家は時代に流されず

いつだってトンチンカンな方向をひた走ってきた。

 

結果そんなもの一切効くわけがなく相変わらず、

ボーっとした幼少時代を過ごす。

 

小学生にあがると、

朝が苦手、典型的な忘れ物が多さ、

授業の落ち着きのなさ、などなどADHDの特性を炸裂しまくりだった。

授業は算数、体育が飛びぬけて苦手。いや全教科だな。。

もちろん、夏・冬休みの宿題は終わったためしもないそんな小学生時代だった。

 

中学生時代は、部活のテニスにあけくれ、音楽・ラジオにどはまりする。

ハガキ職人を目指すも一向に目がでなかった。

 

アホ過ぎて、担任からハンコさん、

今の学力では進学できる高校はありませんと宣言され

それに慌てたナツコが私に家庭教師をつけ、無事志望高に合格する。

バブルの残り香が残っていた当時、ハンコ家は一番裕福な時を過ごし

金に糸目をつけない時代だった。

 

 高校時代になると、なんとも言葉では表現できない、生きにくさを感じ始める。

口癖は「あー死にたい」がこのころから始まる。

かわらず数学は苦手だったが、化学の授業がめちゃくちゃ好きになる。

 

高校の頃から頭痛もちだったハンコは、

常にセデスが通学かばんに入っており、

薬はどうしてこんなに効くのか?や、

ものの成り立ちや化学式の面白さをめざめ、薬学部を目指す。

 

しかし薬学部を目指すも全て落ち、一浪しても夢はかなわず

滑り止めでうけた私立の理工学に進学する。

今となっては私の特性で万が一薬剤師になっていたらと思うと

ゾッとする。薬の渡し間違え等々、命に関わる事件を起こし

裁判沙汰になっていたのではないだろうか・・・。

 

大学に入り、大学デビューを目指した、しょっぱいハンコ。

当時パフィーが大流行で、

ハンコも亜美ちゃんの髪型スパイラルパーマをオーダーするも

なぜかドレッドパーマを施される。

 

その髪型、もともとのコミュ障がたたり友達がまったくできなかった。

(のちに知るのだが、ハンコってクスリとか、葉っぱやってるらしいよ。。

と根も葉もないうわさがたっていたらしいwww)

 

 自己管理がまったくできす自炊、早寝早起ができず

学校に通わない期間が続いた。

(一学年半期で24単位取得目安がとれた単位は8単位だった)

 

 メイクを覚え、濃いメイクをするようになる。

そして拒食、過食を繰り返すようになる。

 

1学年の後半で後の私の人生におけるキーパーソン

夫となる観音氏と出会う。

(なぜ観音氏と呼ぶかは別の機会に述べさせていただく)

ここから単位取得の起死回生が始まり奇跡的に4年で卒業を迎える。

 

大学卒業までざっとこんなところだろうか。

読者の皆さんはどんな人生を歩んできたのでしょうか。

あなたはわたし。

わたしはあなた。

 

 次回は怒涛の社会人編

自分探しにあけくれ

自己啓発やスピリチュアル、

OD、精神科病棟の入院、

自己肯定が低いがゆえのダメンズとの恋愛

ADHDとわかるまでの道のりを

お伝えしていきまっせ!

 

そんじゃまた!